2017年4月9日日曜日

本の補修

なにより他人の本を借り出してそれに十分な注意を払わずに取り扱った自分が悪いのだが、六年以上前に図書館で借りたハードカバーの分厚い歴史書 (ポリュビオスの歴史三巻か四巻のうちの一冊) をさちが齧って背表紙の一端を壊したことがあった。

図書館に持って行くと「補修不可能」と言われ代品での弁済を要求された。「これで補修不可ならどういうのなら直せるというのだ、壊れたのは装幀のごく一部だけで中身は無傷なのに?」と思ったが、黙ってネットの古書店から探して一万何千円かで買って交換した。世田谷区立図書館全体に一人の装幀を直せる職能を持った人もいないらしい。

今日は借りていた日経Linuxの2015年7月号を返したら一部が水濡れしていると言われた。図書館には防水のメッセンジャーバッグに入れて持って行ったのだが、返し忘れないように散歩用品を入れる籠に立てておいたのを、今朝の雨で濡れた散歩袋をそこに置いたとき、負いベルトか何かがページの一部に触れていたらしい。これも弁済というので、こんなの紙を挟んで重しでもすれば乾くじゃないですかと言ったが、濡れたところは読めなくなるという。再び家に持ち帰ってティッシュを沢山切ってはさみ、アイロンをかけてほぼ文句なかろう程度にした。付録のついたこういう雑誌はあとから買おうとすると新品同様かそれ以上の値段になる。たぶん2,500円くらい。ダメなら付録のないのを300円くらいで買って渡そうと思っていた。付録のDVDは無事だから。ポリュビオスの歴史書は二つの出版社から出ていたが、そういう本なら20年経っても少ないながら借りる人はいるだろう。でもPC雑誌なんかほんの数年で無価値になる。

2017年3月14日火曜日

オリーブオイル

スーパーの棚にたくさん並んでいるエキストラバージンと銘打たれたオリーブオイルの大部分はインチキだそうだ。確かにそんなものばかり世界的に大量に売られるのはおかしいのだが、数年前は一応信じていた。

昔、平凡社の世界大百科事典 (検索してみて記憶にある巻ごとの項目名範囲と一致するのは1964年版だ) のオリーブ油の項には、圧搾装置に入れられただけで自重により果実が潰れて流れ出してきたものから採った油がバージンオイルと言われると書かれていた。今は熱を加えず他の媒体も使わず圧搾抽出されたもので成分上のある制約に触れないものがエキストラバージンオイルとされている。全て署名記事だった平凡社のその記述が嘘だったとは思えないので、主にメーカーの利益が目的で数十年の間に定義が変えられたのではないかと疑っている。このことでオリーブオイルソムリエと自称する人達のブログ他で質問してみたが答えはなかった。

マーク・トウェインの「ミシシッピ河上の生活」には彼が船上で聞いた話として、南部では19世紀半ばまでは無価値で、植付けと飼料と肥料に使う以外の大部分はただ川に捨てられていた、繊維を取ったあとの綿実を絞って得た綿実油にある成分を加えてオリーブオイルに香りを似せ、容器に詰めてイタリアに送りそこで印刷したオリーブオイルのラベルを貼って逆輸入して儲けている男が出てくる。そんなペテンに加担するような連中だもの、製品規格のグレードをインフレさせ実際の品質は逆に落とすくらいやっていて不思議はない。

今でも調理にごま油とオリーブオイルは使うが、後者は酸化しにくい二重構造の容器で売られる製品を買い、瓶詰めは買っていない。植物油の使用もできれば最小限にした方がいいようだ。

追記: トム・ミューラー著「エキストラバージンの嘘と真実」によれば「エキストラ」付きの規格ができたのは1960年だそうだから、事典の発行より四年早い。別に矛盾はないけど。定義と変更は遠心分離によるぶんりが導入されたためかもしれない。

2017年2月23日木曜日

ブラジルの甘いもの

ブラジル人以外の南米人もそうかもしれないが、彼らは甘いものが好きだ。例えばドセ・デ・レイチ (doce de leite, スペイン語なら dulce de leche) は、牛乳と砂糖を同量ぐらい鍋に入れて煮詰めた柔らかいキャラメル状の食べ物で、すごく甘いが、片手鍋にたっぷり作って数人で食べてしまったりする。お茶受けに小鉢に盛ったマーマレードがスプーンを添えて出たりする。「日本ではこんなに甘いものは大人はパンやケーキに薄く塗って食べるのが普通で、そのまま口にするのは子供ぐらいです」というと驚く。蜂蜜も好き。田舎では巣箱から出した板状の巣を切ってかじり、ワックスの塊を吐き出す。コーヒーは挽いた豆と砂糖を同じ目方だけ使いネルドリップするのが普通だ。

地区ごとに週の決まった曜日に朝市がたつ。終わり頃には売れ残りの野菜はポンポン捨てていかれる。それは拾い集められ貧乏人のための別の市で売られる。そういう市やお祭りには砂糖黍の汁を売る車が来る。皮を剥いた白い長い竿状の砂糖黍の茎を三本上の方で括り、三脚のように立てたものが目印だ。車内に電動搾汁機が積んであり、皮を剥いた砂糖黍の茎を端から突っ込んで絞る。汁はちょっと青臭くて甘い。軽食堂などでは氷を入れレモン汁を加えたりして出される。外気温そのままの汁より青臭みが消えて美味しい。

サンパウロ州では砂糖黍の栽培は昔はあまり行われなかったが、自動車の燃料に使うエタノールを政府が定額で買い上げるようになってから増えた。収穫は機械化されている。畑の中に石油精製プラントみたいな醸造蒸留施設があって風下を通ると酒臭い。自動車用のアルコール燃料はガソリンも入っているし、オクタン価を上げるために添加剤が色々入っており、排ガスは普通の燃料のより臭い。

ブラジルの町に当たり前にあって周囲の国にないものに街頭で売られる豊富なフルーツジュースがある。様々な種類の果物を混ぜ物なしに絞って氷を入れて出される。私にとってブラジルを離れて一番懐かしいのは安い牛肉や本場ものピッツァや本格的なサラミソーセージなんかでなく、このフルーツジュースだ。

2017年1月18日水曜日

Fail-Safe (1964)

1964年の米国モノクロTVドラマ。

中盤以降、物語はペンタゴンのある会議室、ホワイトハウスの地下シェルター、そしてネブラスカ州オマハの戦略航空軍司令部を主な舞台として進行する。

当時はロケット工学はソ連が米国を引き離しており、米国には核弾頭をソ連の中枢部まで届けることのできるロケットは存在せず、戦略爆撃機がこの任務に当たっていた。米国は推力の低いロケットで核弾頭だけでなく人工衛星や有人宇宙船を軌道に乗せる技術研究に注力し、のちにそれが宇宙開発で優位に立つのに役立つことになる。

オマハの防衛システムではソ連側から米国領に接近する未確認飛行物体(UFO)をレーダーが探知すると、報復攻撃のために常に水爆を抱えて飛行している戦略爆撃機編隊が「フェイルセーフポイント」に進入する。これは毎日変更される侵攻準備空域で、ソ連の国境に近く設定される。無害なものであると判れば定常飛行に戻る。大統領命令があってはじめて機械によって侵攻・爆撃を命ずるコードが発信される。しかしその日 UFO がエンジン不調と強風のためにコースを逸れた民間機と判明したとき、アンカレジを離陸した6機編隊が機械の誤作動によりモスクワを攻撃せよとの信号を受信してしまう。そのエラーの原因はソ連側が仕掛けた通信ジャミングだったらしい。編隊指揮官グレイディ大佐は何かの間違いに違いないと言いオマハに確認をとろうとしたが不可能なため、再度信号を受信後そのまま侵攻コースをとる。

編隊の異常な行動に気付いたオマハでは音声通信によって呼び戻そうとするがジャミングで通信不可能。大統領はペンタゴンに諮った上で最寄りの米軍戦闘機4機編隊にアフターバーナーを焚いて爆撃機に追いすがり撃墜せよと命令する。パイロット達は帰り道はツバでもって飛行機を飛ばすのかと冗談を言いつつ爆撃機を追うが、しかしミサイルは当たらず全機北極圏の海中に燃料切れで墜落する。

そうこうするうちに編隊は音声通信による命令を受けてよいとされるゾーンを出てしまう。敵側の謀略に惑わされないための規則だ。大統領は通訳と二人だけで地下深い一室にこもりホットラインによりソ連の書記長に状況を説明し、説得してジャミングを解除してもらうが、機長は規則に忠実に大統領からの直接の命令を無視し通信を切る。

国境でのソ連空軍による最初の迎撃は爆撃機が装備していた多数のデコイのために失敗し、5機が通り抜けてしまう。大統領は書記長に事後の交渉にあなたが必要だからと、直ちにモスクワを離れ安全な場所に退避してくれるよう頼む。結局書記長はそれに従いネフスキー元帥が指揮と対話を引き継ぐ。

この時点で多くの者がこの際総攻撃に出て冷戦にカタをつけてしまいたいと望んだろうが、それを口に出したのはペンタゴンの戦略会議に出席していた国際政治学者のグロテシェル教授とオマハのカシオ大佐だった。だがオマハの司令官ボーガン将軍やペンタゴンの会議に出席していたパイロット出身で大統領の学友であるブラック将軍は大統領に忠実だった。

大統領はブラック将軍に直ちに空軍基地に向かいそこで彼を待っている命令に従うよう要求し、またホワイトハウス・モスクワを含めオマハ・ペンタゴン・モスクワの米国大使館・ニューヨークの国連本部にいるソ連の国連大使を全て直接電話で繋がせると、爆撃機を落とすためにモスクワに協力し彼らの質問に何なりと答えるようオマハのボーガン将軍以下全員に厳命する。

ソ連側は爆撃機が装備している空対空ミサイルの誘導方式について質問し、カシオ大佐が答え渋るのでボーガン将軍は専門の下士官を呼び、躊躇するのを大声に叱咤し答えさせる。下士官はミサイルの起爆装置を電子的信号を使って自爆させる方法を伝える。これによりさらに数機が墜落したがなお水爆を積んだ隊長機を含む2機が生き残る。2機は高度を下げてレーダーから消えたので、さらにモスクワが2機の位置を聞いてくると、それに答えようとする将軍をカシオ大佐が殴り倒し、総攻撃の指揮をとろうとするが憲兵に拘束されてしまう。

そのうち水爆を積んでいない方の爆撃機がレーダーに姿を現す。ボーガン将軍はこれは囮だから決して構うなとモスクワに伝えるが、ネフスキー元帥はそれに最後の迎撃戦闘機群を向かわせ撃墜させてしまう。過ちに気付いた元帥は卒倒し、英語の話せるコーニェフ将軍がとって代わる。 そうこうする内に米国側はグレイディ大佐夫人を探し出して電話口でスタンバイさせる。決められた手順通り爆撃数分前に大佐が音声通信で報告を入れてきた時に彼らは夫人に大佐を説得させる。敵の攻撃をギリギリにかわしながら、大佐はかき口説く夫人の声に動揺し始めるが副機長が通信を切ってしまう。

やがて避難先の書記長から電話が入り、個人としてはこれは事故だと信じるものの報復用の核ミサイルをスタンバイさせてある、報復して欲しくないなら誠意の証明を欲しいと言う。答えて大統領はモスクワが攻撃されたら駐モスクワ大使の電話線が火球によって溶かされる時甲高い音が電話で聴かれる筈なので、それを確認次第現在ニューヨーク上空に待機させてある爆撃機に同数の水爆を落とさせる。それはあなたもソ連の国連大使の電話の騒音で確認できるだろう、それでいいだろうか、もしこの提案だけでこちらの誠意を分かってもらえればいいのだが、という。書記長はソ連の爆撃機がニューヨークに向かっていたら貴方はそういう提案だけで満足しますかと問い返し大統領は否定する。

やがてソ連の対空核ミサイルを使った迎撃の試みをも通り抜けたグレイディ大佐機はモスクワに20メガトン水爆を2個落とす。機長は敵の核ミサイルによる被曝で我々にはせいぜい二日の余命しかないといい、自らの核爆弾に巻き込まれる低高度を選択していた。攻撃を確認した大統領はニューヨーク上空のブラック将軍に爆撃命令を出す。同市には将軍の家族も大統領夫人も出かけてきており、両人ともにそれを知っていた。

完全版だと、爆撃直前に機長の息子が父を呼び出し、その日の朝二人だけの時に交わした他者の知りえない言葉を父に思い出させる。それでも爆撃を止めることはできなかった。

Fail Safe
Fail Safe YouTube動画リンク

2017年1月6日金曜日

野犬の保護と里親探し

家の近くに新しい保護犬の譲渡センターができたというので見に行った。洋服の青山 (元サミットストア) の角から世田谷通りを隔てた向かいの商店街を入って一ブロックの左手。まだおもてに祝いの花輪が飾られていて二人の職員が清掃をしていた。中にはほぼ全個室に犬が入っていた。一頭大きなゴールデンがいて一番広い区画だったがそれでも尻尾を振ると壁にバサバサ当たっていた。あとはほぼ野犬出身らしい柴系雑種だった。本部は広島県にあり犬は皆そこから来ているそうだ。

無添加の鹿肉や骨や肺の素干しが売られていたので二袋買って帰った。鹿は農業・林業に与える害が小さくないが、駆除しても猪ほど需要がないのでその場に埋められたり置き捨てられたりすることが多く、駆除にあたるハンターのモチベーションも低いというので、できるだけ鹿の肉・皮・骨などを使ったおやつを買うようにしている。

しかし、もしも新たに一頭飼うのであればちゃんとした日本犬が飼いたい。それは狂犬病防疫のためとはいえ主のない犬が殺されるのはかわいそうだ。でも牛や豚はかわいそうでないのか?彼らだって食肉検査場で自分の前を行く仲間が打ち倒されるのを見たり悲鳴を聞いたりしなくても (豚はともかく牛にはたいていそれくらいの配慮がなされている) 、血の臭いを嗅いだりすれば怖いはずだし、いずれにしろ殺生は殺生だ。保護犬の殺処分ゼロ化のために尽力している人たちは牛や豚の肉や臓物を食べたり自分たちの犬に食べさせたりしないのか?普通の牛や豚は目が合ったからとて家に連れて帰る訳にはいかない。しかし畜肉を食ったり食わせたりをやめればたぶん、家で飼える犬猫の常識的な数以上の牛豚が怖い思いをしなくて済む。なぜ犬や猫だけ特別扱いするの?

2017年1月3日火曜日

ブラジルの中の中東

第一次大戦中からオスマントルコ領シリア (今のシリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナやイラクの一部を合わせた大シリアまたは歴史的シリアのことで、今のシリアアラブ共和国の意味ではない) の住民の中からは戦乱を避けて南米に移住する人々がいた。

彼らシリアからの移民は南米ではTrucosと呼ばれた (本当ならTurcosになるはずだが) 。彼らはタフな商売人として知られ、ブラジルではtrucoはハッタリの代名詞にもなった。彼らは中東の食べ物を色々作って売り、今やブラジルのどこの軽食堂へ行っても中東由来の食べ物が何種類か買える。そのうち下味を付け串に刺した薄切りの牛肉の堆積を電熱で炙るドネルケバブは最も目立つ。切れ目を入れたコッペパンにサラダと肉を詰め、決まって薄いオレンジジュースと一緒に供される。もっとも普通街頭で売られるジュースは果物100%で、氷片かミルク以外の水分が混ぜられることはない。ドネルケバブに付くジュースはおまけだからだろう。

奥地に入植する日本人移民にはたいてい一家族のシリア人商人が付いて行き、店を開いて彼らに当座必要な食料品を始め物品を販売した。日本人からすると最初の何年間かの儲けはほとんどシリア人に吸い取られてしまう感じだが、シリア人にしても日本人の勤勉さを信じて自分らの乏しい資本と前途を彼らに賭けてきていたのだ。日本人の入植が失敗して離散することになれば商人は元も子も失くしてしまう。実際米作可能な土地としてマラリア猖獗の低湿地帯に入植したグループが全滅したこともある。

2016年12月31日土曜日

「犬になりたくなかった犬」

Farley Mowat著 原題 The Dog Who Wouldn't Be

うんと昔の愛読書。著者はカナダの作家・ナチュラリストで「狼よ泣くな」などの著書で有名。近年シーシェパードが彼らの船舶に命名しているので聞き覚えのある人は結構いるだろう。著者はあんな連中に出資していたらしい。フランスの有名な海洋学者ジャック=イヴ・クストーも、日本の捕鯨に関するグリーンピースの荒唐無稽なプロパガンダ(鯨肉をドッグフードにしているとか)を無批判に信じ込み、著書にも書いていた。

なんとかKindle版を買いたかったがamazon.comでもKindle化されてないらしいのでamazon.co.jpでペーパーバックを554円で買った。すらすら読めない他国語の本は、特に安い装丁の紙の本では読みづらい。判らない単語があったら辞書引かなきゃならない。学校の教科書以外書き込みや下線引きなど一切しないんだけど、こういう質の悪い紙の本にならやってもいいかな。繊維のしおりも付いてないんだし。

著者は1921年に東部オンタリオ州で生まれ、大伯父の影響を受けて生物の研究を志す。八歳の時に両親と共に中西部サスカチワン州に移住 (他に手段がないのでT型フォードのシャーシを利用して手作りした今風に言うならキャンピングカーを、山のように荷物を積んだA型フォードで牽引して行った)。建設されて三十年経たない州都サスカトゥーンの外れに住み手付かずの大自然に囲まれて育った。カナダ北部の野生動物に関する著作で名声を得た。2014年没。

この本は彼らがサスカトゥーンに引っ越して間もなく飼い始めた雑種の犬と共に西部の町や平原で体験した生活と冒険の物語である。しかし今思うと話を面白くするため結構誇張や創作が入っていると見なさざるをえない。

自分の犬の話になるが、さちを初めて駒沢公園のドッグランに連れて行った時、あるウィペットが数十m先から凄い勢いで突っかかってきた。中型以上のサイトハウンドにはこうした他犬をおもちゃのように扱う犬がいるから好かない。ボルゾイとか特に。

さちはただお腹を見せて済むような正常な相手ではないと感じたのだろう、異様な行動をとった。すなわち相手に腹を向けて横倒しになると同時に、四肢を攻撃を防ぐかのように早技で繰り出しながら、それまでもそれ以後も聞いたことのない金切り声を発した。

これを見てこの本に出てくる著者の犬マットの不思議な行動を思い出した。かつて侵入した泥棒を捕まえて肉屋の肉のようにしてしまったという四頭の獰猛なハスキーが待つ裏庭に、猫を追って入り込んで囲まれた時、仰向けになって四肢を動かしサイレンのような声を発し、それがハスキー共を恐れさせて窮地を脱したという。また別の時は構わず飛びかかって来た頭のおかしい犬を四肢で空中に放り上げ、その犬は爪で滅茶苦茶引っかかれ血まみれになって退却したとか。

ン十年前にそれを読んだときにはだいたい真に受けていたのだが、しかし犬の爪なんか武器にならないじゃないか。さちが本能的にそういう行動をとったからには何らかの効果がある場合があるんだろう。しかし四頭の猛るハスキーからどうして助かったかわからないが、後の話は全くの創作ではないか?

当時のカナダではもちろん犬を繋いで飼うという風習や法律はなく、犬は市内外を自由に歩き回ってい、リードを使って散歩させる習慣すらなかったようだ (著者らは初めマットに猟の邪魔をさせないようリードを使ったが、彼が完璧に回収犬として振舞った時それを湖に投げ捨てている) 。町では上下に水平に渡した2×4インチの桟に板を縦に並べて打ち付けた板塀が裏庭の囲いとして広く使われていて、これが猫たちに安全な通路を提供していたが、マットは猫狩りや攻撃的な犬から身を守る目的で、この横桟の上を自由に歩くことをおぼえた。また梯子を登ることもおぼえ、樹に登ることさえ試みていたという。

著者は哺乳類鳥類爬虫類といろんな動物を好んで飼ったが猫だけは好きでなかったようで、友人らと竹竿を持って自転車に乗りベンガル槍騎兵隊の虎狩りと称して猫を追い回したらしい。マットが梯子登りをおぼえた後、著者らは近所で Cat Lady と呼ばれていた、屋敷内に数十匹の猫を飼い、保健所職員に数を把握されぬよう日中は 猫を屋内に閉じ込め、夜間二階の窓から屋根の上に出して運動させていた人の家の敷地に、一夜忍び込んで屋根に梯子を掛けマットに登らせて殺生三昧をさせ、その騒動の後その家の隣人から新品の22口径ライフルを黙ってプレゼントされたという。

大らかでいい時代、いい土地柄だなあ。今日本でこんなことをしたらただじゃ済まない。