2017/08/31

入会地

昔、光岳のはるか南東から赤石岳まで縦走して椹島に下山し、幕場使用料を払うために管理している東海フォレスト㈱の窓口にならんだら、バスで帰るか歩いて帰るかと自明のことを聞く。会社のマイクロバスで帰るなら小屋にロハで泊まれると。

この抱合せ商売に何かカチンと来て、歩いて帰るので幕場を借りたいと答えると「この貧乏人が」という感じで錆びたツナ缶を一個くれた。歩いて帰る気はさらさらなく、それまでの経験から乗せてくれる車があるに決まっていると思っていた。

ツナ缶をキャンパーから借りた醤油でおいしく食べて翌早朝に出発すると、全然下りの車が来ない。知らなかったが狭い道を有効に使うために上り下り一通が定時で切り替わるシステムだった。聖岳登山口あたりまで来て件のマイクロバスを含めた下りの車がコンボイのように列をなして通り、乗せるために停車してくれる車はなかった。ここで腹を括って小屋に泊まった連中に負けないよう畑薙第一ダムを出る一番の (バス会社の) バスに間に合わせることにしてペースを決めた。

ちゃんと間に合わせたが、道々国民の資産であるべき広大な山林をなぜ東海フォレストという会社が独占しているのだろうと考えた。地図で国定公園の範囲をみるとわかるが、それは森林限界より上でしかなく、伐採で採算が合う限りの中腹から裾野はすべて東海フォレストその他の会社の所有物なのだ。帰宅してから色々調べてわかったことは、この辺は元々みな麓の村の入会地であり、寺社や橋など公共の建築物用の木材を伐っては下ろして使っていた。それを明治政府は認めず無主地として召し上げ、日清日露の戦費として華族や財閥に払い下げた結果がこうだった。東海フォレストは今はない大倉財閥系の企業だ。

東京でも、水の便が悪く集落から遠いなどで稲や野菜の栽培に向かない丘陵地はみな入会地の里山であり、軒並み召し上げられた。国立競技場あたりの代々木の入会地や駒澤近辺は練兵場になったし、農大から駒大一高・用賀駐屯地・医薬品食品衛生試験場あたりもみな軍の施設だった。馬事公苑のところだけは華族が買って後に馬事振興のために寄付された。

今日本で「いわゆる」マンションなどに「〇〇ハイツ」と名をつけるのは、たぶん代々木の練兵場を接収した米軍がニューヨーク郊外の高級分譲地のワシントン・ハイツから名を取って同名の軍人家族用住宅地にしたのを真似たものだろう。ハイツ (heights) というのは複数の丘を含んだ広大な土地をいうので、日本の「いわゆる」マンションなどにつけるのは全く滑稽だ。

JRAのような (八百長がないとしても) 胴元の取り分が25%という法外な賭博を開帳している利権団体には、弦巻・上用賀一帯からどこか田舎に移ってもらって跡を砧公園のような完全公開の緑地にして欲しかった。でも次の東京オリンピックのために大工事をしているし、まああと五十年はそんなことありえないだろう。

注: 英語の "mansion" というのは豪邸、例えば二〜三階建てとかで召使いたちの部屋や客を泊める部屋をたっぷり持ったような家を意味する。

2017/04/09

本の補修

なにより他人の本を借り出してそれに十分な注意を払わずに取り扱った自分が悪いのだが、六年以上前に図書館で借りたハードカバーの分厚い歴史書 (ポリュビオスの歴史三巻か四巻のうちの一冊) をさちが齧って背表紙の一端を壊したことがあった。

図書館に持って行くと「補修不可能」と言われ代品での弁済を要求された。「これで補修不可ならどういうのなら直せるというのだ、壊れたのは装幀のごく一部だけで中身は無傷なのに?」と思ったが、黙ってネットの古書店から探して一万何千円かで買って交換した。世田谷区立図書館全体に一人の装幀を直せる職能を持った人もいないらしい。

今日は借りていた日経Linuxの2015年7月号を返したら一部が水濡れしていると言われた。図書館には防水のメッセンジャーバッグに入れて持って行ったのだが、返し忘れないように散歩用品を入れる籠に立てておいたのを、今朝の雨で濡れた散歩袋をそこに置いたとき、負いベルトか何かがページの一部に触れていたらしい。これも弁済というので、こんなの紙を挟んで重しでもすれば乾くじゃないですかと言ったが、濡れたところは読めなくなるという。再び家に持ち帰ってティッシュを沢山切ってはさみ、アイロンをかけてほぼ文句なかろう程度にした。付録のついたこういう雑誌はあとから買おうとすると新品同様かそれ以上の値段になる。たぶん2,500円くらい。ダメなら付録のないのを300円くらいで買って渡そうと思っていた。付録のDVDは無事だから。ポリュビオスの歴史書は二つの出版社から出ていたが、そういう本なら20年経っても少ないながら借りる人はいるだろう。でもPC雑誌なんかほんの数年で無価値になる。

2017/03/14

オリーブオイル

スーパーの棚にたくさん並んでいるエキストラバージンと銘打たれたオリーブオイルの大部分はインチキだそうだ。確かにそんなものばかり世界的に大量に売られるのはおかしいのだが、数年前は一応信じていた。

昔、平凡社の世界大百科事典 (検索してみて記憶にある巻ごとの項目名範囲と一致するのは1964年版だ) のオリーブ油の項には、圧搾装置に入れられただけで自重により果実が潰れて流れ出してきた果汁から採った油がバージンオイルと言われると書かれていた。今は熱を加えず他の媒体も使わず圧搾抽出されたもので成分上のある制約に触れないものがエキストラバージンオイルとされている。全て署名記事だった平凡社のその記述が嘘だったとは思えないので、主にメーカーの利益が目的で数十年の間に定義が変えられたのではないかと疑っている。このことでオリーブオイルソムリエと自称する人達のブログ他で質問してみたが答えはなかった。

マーク・トウェインの「ミシシッピ河上の生活」には彼が船上で聞いた話として、南部では19世紀半ばまでは無価値で、木綿の植付けと飼料と肥料に使う以外の大部分はただ川に捨てられていた、繊維を取ったあとの綿実を絞って得た綿実油にある成分を加えてオリーブオイルに香りを似せ、容器に詰めてイタリアに送りそこで印刷したオリーブオイルのラベルを貼って逆輸入して儲けている男が出てくる。そんなペテンに加担するような連中だもの、製品規格のグレードをインフレさせ実際の品質は逆に落とすくらいやっていて不思議はない。

今でも調理にごま油とオリーブオイルは使うが、後者は酸化しにくい二重構造の容器で売られる製品を買い、瓶詰めは買っていない。植物油の使用もできれば最小限にした方がいいようだ。

追記: トム・ミューラー著「エキストラバージンの嘘と真実」によれば「エキストラ」付きの規格ができたのは1960年だそうだから、事典の発行より四年早い。別に矛盾はないけど。定義と変更は遠心分離による分離が導入されたためかもしれない。

2017/02/23

ブラジルの甘いもの

ブラジル人以外の南米人もそうかもしれないが、彼らは甘いものが好きだ。例えばドセ・デ・レイチ (doce de leite, スペイン語なら dulce de leche) は、牛乳と砂糖を同量ぐらい鍋に入れて煮詰めた柔らかいキャラメル状の食べ物で、すごく甘いが、片手鍋にたっぷり作って数人で食べてしまったりする。お茶受けに小鉢に盛ったマーマレードがスプーンを添えて出たりもする。「日本ではこんなに甘いものは大人はパンやパンケーキに薄く塗って食べるのが普通で、そのまま口にするのは子供ぐらいです」というと驚く。蜂蜜も好き。田舎では巣箱から出した板状の巣を切ってかじり、ワックスの塊を吐き出す。コーヒーは挽いた豆と砂糖を同じ目方だけ使いネルドリップするのが普通だ (もちろん砂糖を入れるのはドリップ後)。

地区ごとに週の決まった曜日に朝市がたつ。終わり頃には売れ残りの野菜はポンポン捨てていかれる。それは拾い集められ貧乏人のための別の市で売られる。そういう市やお祭りには砂糖黍の汁を売る車が来る。皮を剥いた白い長い竿状の砂糖黍の茎を三本上の方で括り、三脚のように立てたものが目印だ。車内に電動搾汁機が積んであり、皮を剥いた砂糖黍の茎を端から突っ込んで絞る。汁はちょっと青臭くて甘い。軽食堂などでは氷を入れレモン汁を加えたりして出される。外気温そのままの汁より青臭みが消えて美味しい。

サンパウロ州では砂糖黍の栽培は昔はあまり行われなかったが、自動車の燃料に使うエタノールを政府が定額で買い上げるようになってから増えた。収穫は機械化されている。畑の中に石油精製プラントみたいな醸造蒸留施設があって風下を通ると酒臭い。自動車用のアルコール燃料はガソリンも入っているし、オクタン価を上げるために添加剤が色々入っており、排ガスは普通の燃料のより臭い。

ブラジルの町に当たり前にあって周囲の国にないものに街頭で売られる豊富なフルーツジュースがある。様々な種類の果物を混ぜ物なしに絞って氷を入れて出される。私にとってブラジルを離れて一番懐かしいのは安い牛肉や本場物のピッツァや本格的なサラミソーセージなんかでなく、このフルーツジュースだ。

2017/01/18

Fail-Safe (1964)

1964年の米国モノクロTVドラマ。

中盤以降、物語はペンタゴンのある会議室、ホワイトハウスの地下シェルター、そしてネブラスカ州オマハの戦略航空軍司令部を主な舞台として進行する。

当時はロケット工学はソ連が米国を引き離しており、米国には核弾頭をソ連の中枢部まで届けることのできるロケットは存在せず、戦略爆撃機がこの任務に当たっていた。米国は推力の低いロケットで核弾頭だけでなく人工衛星や有人宇宙船を軌道に乗せる技術研究に注力し、のちにそれが宇宙開発で優位に立つのに役立つことになる。

オマハの防衛システムではソ連側から米国領に接近する未確認飛行物体(UFO)をレーダーが探知すると、報復攻撃のために常に水爆を抱えて飛行している戦略爆撃機編隊が「フェイルセーフポイント」に進入する。これは毎日変更される侵攻準備空域で、ソ連の国境に近く設定される。無害なものであると判れば定常飛行に戻る。大統領命令があってはじめて機械によって侵攻・爆撃を命ずるコードが発信される。しかしその日 UFO がエンジン不調と強風のためにコースを逸れた民間機と判明したとき、アンカレジを離陸した6機編隊が機械の誤作動によりモスクワを攻撃せよとの信号を受信してしまう。そのエラーの原因はソ連側が仕掛けた通信ジャミングだったらしい。編隊指揮官グレイディ大佐は何かの間違いに違いないと言いオマハに確認をとろうとしたが不可能なため、再度信号を受信後そのまま侵攻コースをとる。

編隊の異常な行動に気付いたオマハでは音声通信によって呼び戻そうとするがジャミングで通信不可能。大統領はペンタゴンに諮った上で最寄りの米軍戦闘機4機編隊にアフターバーナーを焚いて爆撃機に追いすがり撃墜せよと命令する。パイロット達は帰り道はツバでもって飛行機を飛ばすのかと冗談を言いつつ爆撃機を追うが、しかしミサイルは当たらず全機北極圏の海中に燃料切れで墜落する。

そうこうするうちに編隊は音声通信による命令を受けてよいとされるゾーンを出てしまう。敵側の謀略に惑わされないための規則だ。大統領は通訳と二人だけで地下深い一室にこもりホットラインによりソ連の書記長に状況を説明し、説得してジャミングを解除してもらうが、機長は規則に忠実に大統領からの直接の命令を無視し通信を切る。

国境でのソ連空軍による最初の迎撃は爆撃機が装備していた多数のデコイのために失敗し、5機が通り抜けてしまう。大統領は書記長に事後の交渉にあなたが必要だからと、直ちにモスクワを離れ安全な場所に退避してくれるよう頼む。結局書記長はそれに従いネフスキー元帥が指揮と対話を引き継ぐ。

この時点で多くの者がこの際総攻撃に出て冷戦にカタをつけてしまいたいと望んだろうが、それを口に出したのはペンタゴンの戦略会議に出席していた国際政治学者のグロテシェル教授とオマハのカシオ大佐だった。だがオマハの司令官ボーガン将軍やペンタゴンの会議に出席していたパイロット出身で大統領の学友であるブラック将軍は大統領に忠実だった。

大統領はブラック将軍に直ちに空軍基地に向かいそこで彼を待っている命令に従うよう要求し、またホワイトハウス・モスクワを含めオマハ・ペンタゴン・モスクワの米国大使館・ニューヨークの国連本部にいるソ連の国連大使を全て直接電話で繋がせると、爆撃機を落とすためにモスクワに協力し彼らの質問に何なりと答えるようオマハのボーガン将軍以下全員に厳命する。

ソ連側は爆撃機が装備している空対空ミサイルの誘導方式について質問し、カシオ大佐が答え渋るのでボーガン将軍は専門の下士官を呼び、躊躇するのを大声に叱咤し答えさせる。下士官はミサイルの起爆装置を電子的信号を使って自爆させる方法を伝える。これによりさらに数機が墜落したがなお水爆を積んだ隊長機を含む2機が生き残る。2機は高度を下げてレーダーから消えたので、さらにモスクワが2機の位置を聞いてくると、それに答えようとする将軍をカシオ大佐が殴り倒し、総攻撃の指揮をとろうとするが憲兵に拘束されてしまう。

そのうち水爆を積んでいない方の爆撃機がレーダーに姿を現す。ボーガン将軍はこれは囮だから決して構うなとモスクワに伝えるが、ネフスキー元帥はそれに最後の迎撃戦闘機群を向かわせ撃墜させてしまう。過ちに気付いた元帥は卒倒し、英語の話せるコーニェフ将軍がとって代わる。 そうこうする内に米国側はグレイディ大佐夫人を探し出して電話口でスタンバイさせる。決められた手順通り爆撃数分前に大佐が音声通信で報告を入れてきた時に彼らは夫人に大佐を説得させる。敵の攻撃をギリギリにかわしながら、大佐はかき口説く夫人の声に動揺し始めるが副機長が通信を切ってしまう。

やがて避難先の書記長から電話が入り、個人としてはこれは事故だと信じるものの報復用の核ミサイルをスタンバイさせてある、報復して欲しくないなら誠意の証明を欲しいと言う。答えて大統領はモスクワが攻撃されたら駐モスクワ大使の電話線が火球によって溶かされる時甲高い音が電話で聴かれる筈なので、それを確認次第現在ニューヨーク上空に待機させてある爆撃機に同数の水爆を落とさせる。それはあなたもソ連の国連大使の電話の騒音で確認できるだろう、それでいいだろうか、もしこの提案だけでこちらの誠意を分かってもらえればいいのだが、という。書記長はソ連の爆撃機がニューヨークに向かっていたら貴方はそういう提案だけで満足しますかと問い返し大統領は否定する。

やがてソ連の対空核ミサイルを使った迎撃の試みをも通り抜けたグレイディ大佐機はモスクワに20メガトン水爆を2個落とす。機長は敵の核ミサイルによる被曝で我々にはせいぜい二日の余命しかないといい、自らの核爆弾に巻き込まれる低高度を選択していた。攻撃を確認した大統領はニューヨーク上空のブラック将軍に爆撃命令を出す。同市には将軍の家族も大統領夫人も出かけてきており、両人ともにそれを知っていた。

完全版だと、爆撃直前に機長の息子が父を呼び出し、その日の朝二人だけの時に交わした他者の知りえない言葉を父に思い出させる。それでも爆撃を止めることはできなかった。

Fail Safe
Fail Safe YouTube動画リンク

2017/01/06

野犬の保護と里親探し

家の近くに新しい保護犬の譲渡センターができたというので見に行った。洋服の青山 (元サミットストア) の角から世田谷通りを隔てた向かいの商店街を入って一ブロックの左手。まだおもてに祝いの花輪が飾られていて二人の職員が清掃をしていた。中にはほぼ全個室に犬が入っていた。一頭大きなゴールデンがいて一番広い区画だったがそれでも尻尾を振ると壁にバサバサ当たっていた。あとはほぼ野犬出身らしい柴系雑種だった。本部は広島県にあり犬は皆そこから来ているそうだ。

無添加の鹿肉や骨や肺の素干しが売られていたので二袋買って帰った。鹿は農業・林業に与える害が小さくないが、駆除しても猪ほど需要がないのでその場に埋められたり置き捨てられたりすることが多く、駆除にあたるハンターのモチベーションも低いというので、できるだけ鹿の肉・皮・骨などを使ったおやつを買うようにしている。

しかし、もしも新たに一頭飼うのであればちゃんとした日本犬が飼いたい。それは狂犬病防疫のためとはいえ主のない犬が殺されるのはかわいそうだ。でも牛や豚はかわいそうでないのか?彼らだって食肉検査場で自分の前を行く仲間が打ち倒されるのを見たり悲鳴を聞いたりしなくても (豚はともかく牛にはたいていそれくらいの配慮がなされている) 、血の臭いを嗅いだりすれば怖いはずだし、いずれにしろ殺生は殺生だ。保護犬の殺処分ゼロ化のために尽力している人たちは牛や豚の肉や臓物を食べたり自分たちの犬に食べさせたりしないのか?普通の牛や豚は目が合ったからとて家に連れて帰る訳にはいかない。しかし畜肉を食ったり食わせたりをやめればたぶん、家で飼える犬猫の常識的な数以上の牛豚が怖い思いをしなくて済む。なぜ犬や猫だけ特別扱いするの?

2017/01/03

ブラジルの中の中東

第一次大戦中からオスマントルコ領シリア (現在の国家でいうとシリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ、それにトルコとイラクのそれぞれ一部を合わせた大シリアまたは歴史的シリアのことで、今のシリアアラブ共和国の意味ではない) の住民の中からは戦乱を避けて南米に移住する人々がいた。

彼らシリアからの移民は南米では Turcos と呼ばれた。彼らはタフな商売人として知られ、中東の食べ物を色々作って売り、今やブラジルのどこの軽食堂へ行っても中東由来の食べ物が何種類か買える。そのうち下味を付け串に刺した薄切りの牛肉の堆積を電熱で炙るドネルケバブは最も目立つ。切れ目を入れたコッペパンにサラダと肉を詰め、決まって薄いオレンジジュースと一緒に供される。もっとも普通街頭で売られるジュースは果物100%で、氷片かミルク以外の水分が混ぜられることはない。ドネルケバブに付くジュースはおまけだからだろう。

奥地に入植する日本人移民にはたいてい一家族のシリア人商人が付いて行き、店を開いて彼らに当座必要な食料品を始め物品を販売した。日本人からすると最初の何年間かの儲けはほとんどシリア人に吸い取られてしまう感じだが、シリア人にしても日本人の勤勉さを信じて自分らの乏しい資本と前途を彼らに賭けてきていたのだ。日本人の入植が失敗して離散することになれば商人は元も子も失くしてしまう。実際米作可能な土地としてマラリア猖獗の低湿地帯に入植したグループが全滅したこともある。

カルロス・ゴーンの祖父も中東からの移民の一人。マロン派というキリスト教徒だけど。やっぱり彼もタフでしょう?