2017/01/03

ブラジルの中の中東

第一次大戦中からオスマントルコ領シリア (現在の国家でいうとシリア・ヨルダン・レバノン・パレスチナ、それにトルコとイラクのそれぞれ一部を合わせた大シリアまたは歴史的シリアのことで、今のシリアアラブ共和国の意味ではない) の住民の中からは戦乱を避けて南米に移住する人々がいた。

彼らシリアからの移民は南米では Turcos と呼ばれた。彼らはタフな商売人として知られ、中東の食べ物を色々作って売り、今やブラジルのどこの軽食堂へ行っても中東由来の食べ物が何種類か買える。そのうち下味を付け串に刺した薄切りの牛肉の堆積を電熱で炙るドネルケバブは最も目立つ。切れ目を入れたコッペパンにサラダと肉を詰め、決まって薄いオレンジジュースと一緒に供される。もっとも普通街頭で売られるジュースは果物100%で、氷片かミルク以外の水分が混ぜられることはない。ドネルケバブに付くジュースはおまけだからだろう。

奥地に入植する日本人移民にはたいてい一家族のシリア人商人が付いて行き、店を開いて彼らに当座必要な食料品を始め物品を販売した。日本人からすると最初の何年間かの儲けはほとんどシリア人に吸い取られてしまう感じだが、シリア人にしても日本人の勤勉さを信じて自分らの乏しい資本と前途を彼らに賭けてきていたのだ。日本人の入植が失敗して離散することになれば商人は元も子も失くしてしまう。実際米作可能な土地としてマラリア猖獗の低湿地帯に入植したグループが全滅したこともある。

カルロス・ゴーンの祖父も中東からの移民の一人。マロン派というキリスト教徒だけど。やっぱり彼もタフでしょう?

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